マメコと私の記録

2017年33週6日1254g。極低出生体重児で生まれたマメコの話

出産後10日。初めてマメコを抱っこした日

結局、自分で歩いて、NICUに行けるようになったのは産後10日目くらいでした。

 

それまでは夫が来てくれた時に車いすで連れて行ってもらったり、看護師さんに連れていってもらったりしました。

 

弱り切った体に、昼夜問わずの二時間おきの搾乳はきつかったけど頑張っていました。

トイレに起きるのもやっとだったけど、私がマメコにしてあげられることってそれしかなかったから。

 

30分くらい搾乳して、母乳パックに詰めて、搾乳機洗って。なんてやってるとあっという間に一時間たってしまいます。一時間休んで、また搾乳。夜中も同様。

 

 

 

酷かった体の浮腫みは、ご飯が食べられず栄養不足になっているからきちんと食事をとれば、浮腫みはとれます。と先生に言われました。

 

 

搾乳が始まり、異常なほどお腹も空くようになったので、病院食をもりもり食べられるようになりました。

 

 

浮腫みが取れ始めてからは一時間に一回トイレに行かないと間に合わない。夜中もトイレと搾乳で全然寝られない🤣

 

 

二日くらいそんな状態が続いて、徐々にトイレの回数も減った頃、身体の浮腫みは嘘のように、憑き物がとれたように引いていきました。

 

 

 

 

 

そのころマメコはいうと、保育器に入っていたものの状態は安定していて、生まれてから一週間で、保育器からでて、NICUからGCUに移ることができるようになりました。

 

 

マメコがNICUにいる時は私も車いすで、マメコにふれるのは、保育器の中に手を入れて、背中や、頭にそって触れる程度。

 

産後一週間くらい私は、立っていることができなかったので、おむつ替えなどのお世話が全くできませんでした。

マメコは母乳は鼻に通された管から、直接胃に入れており、口から飲むことはこのときはまだできませんでした。

 

 

私ができるようになるまでおむつ替えのお世話は夫が、看護師さんに教えてもらいながらしてくれたりしました。

 

 

 

生後10日目。

 

初めてマメコをこの手に抱くことができました。

 

 

小さい小さい体にはたくさんの管がつけられていました。

 

愛しくて愛しくて、うれしかった。

 

 

私はやっとこの頃、自力でマメコのところに歩いていけるようになっていました。

 

 

 

夫も同じ日、初めてマメコを抱っこすることができました。

 

その日はちょうど、夫の誕生日。

 

最高の誕生日プレゼントになりました😊

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産後荒れた話

トラブルなく出産を終えた世のお母さんたちが、産後すぐに経験していることを私はできなかったことが多かった。

 

母子同室はもちろんできなかったしこの手に抱っこできたのは、生まれてから10日後。

初めておむつを替えてあげられたのも初めて母乳を直接飲ませてあげられたのもこの頃。

自分でマメコを沐浴させてあげられるようになったのは出産後2週間を過ぎてから。

それまでは5分と自力で立っていることができず、椅子に座って身体を起こしているのがやっとでした。

 

特に出産前日から産後3日くらいまでは、自分が生きることに必死でマメコのことを考える余裕もないくらいでした。

 

 

 

 

産後10日くらいまで歩いて一人でNICUに行くことができなかったので、その間は夫がNICUにたくさん通ってくれました。

 

 

確か出産後、二日目?三日目?だったと思います。

この日、看護師さんがきて母乳の出をチェックしてくれました。

 

「あらっ。おっぱいよくでてよかったわ😊」

そういって初乳を絞ってくれました。

 

あとから小児科の先生が教えてくれましたが、この初乳というのが早産児にすごく大事だとか。

 

必要な栄養成分がたくさん入っているんだそうで、正産期に出産した人よりも濃くなる?だったか早く生まれてしまった分をカバーするために栄養もそれだけ豊富になるみたいなことを教えてくれました。

 

 

その日の翌日から、搾乳の練習が始まりました。最初は手でほんの少し絞ってみるところから。

 

 

 

確か出産後4日目くらいだったと思います。

 

回診の時に先生たちがきて、

先生の一人に

「そろそろ自分で歩かないと…。動かないと早く良くならないから。」

みたいなことを言われました。

 

この時私は起き上がるのがやっとで、とても自分で歩き回れるような状態ではありませんでした。

血圧って産後すぐに元に戻るわけじゃないんですね😥尿蛋白も相変わらずでていました。

 

 

 

産後で、情緒不安定だったんでしょう😣

 

 

「私だって!!!私だって動ければ動きたいに決まってるじゃないですか😭😡😭😡」

 

わっーーーーーーーーーーー😭😭😭😭😭😭

 

って先生たちの前で泣き出して、ぶち切れしてしまいました😂

 

 

そりゃそうだわ。ずっとマメコの隣にいて、お世話したいのにできなくてつらいのになんでそんなこというんだよ😡

マメコが泣けばそばにいて抱っこしたり、おっぱいあげたり抱きしめたいのにできなくて。

それどころか、自力で歩いてマメコに会いにいくことさえできない。

 

苦しくて苦しくて、辛くてわんわん泣きました。

 

 

 

 

先生たちも、

あー。みたいな感じで看護師さんを呼んで、フォローお願いしますっていって看護師さんが優しく慰めてくれました😅

 

 

先生たちにはもちろん感謝していましたが、どうしても抑えられませんでした。

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NICUにいたマメコ

前日に引き続き、一睡もできないまま出産翌日の朝を迎えました。

 

 

その日、おしっこの管を外してもらい自分でトイレに行けるようになる日だったけど、ベッドから起き上がることができず翌日に延期になりました。

 

 

 

息をしているだけで精いっぱい、出産の翌日は体調が悪くマメコには会いに行けませんでした。

 

 

出産後二日目。

マメコには、看護師さんにベッドのまま会いに連れて行ってもらいました。

 

マメコは、早く生まれたし子宮内発育遅延もあり週数の割に小さかったけど、有難いことに肺の状態も安定しており元気にしてくれていました。

 

 

保育器に入ったマメコは、おむつも小さな小さなおむつ。

 

大学病院の売店には小さく生まれた新生児用のおむつが売っていました。

 

普通の薬局では売っているのはみたことのない小さいサイズでした。

 

 

その日はベッドに横になったままNICUに連れてきてもらったので、マメコに触れることもできませんでした。

 

ただ涙で滲むマメコの姿をずっと見ていました。

 

うつ伏せに寝かされていて、細い細い足を一所懸命に動かしているんです。

 

小児科の先生もそばに来てくれて、安定していますよと教えてくれ少し安心しました。

 

 

マメコは今も健康状態、発育状態にも問題はありません。

(熱性けいれん、鼠経ヘルニアなどで何回か入院しましたが)

ただ、他の同じくらいの年齢の子と比べると、細い子です。

 

でも、極低出生体重児、早産で1500グラム未満で生まれたことなんて

今となっては、言わなければ全然わからないと思います。

 

 

小さく、早く産んでしまったことにずっと負い目を感じて

マメコに申し訳なく、不安だらけの時期もありました。

 

 

そんな私のマイナスの気持ちをよそに、マメコは元気にすくすくと今日まで育ってくれています。

 

 

そのうち、私がいつまでもそのことにこだわっていること自体がマメコに失礼なんではないか?数年かけて私の気持ちも少しずつ変わっていきました。

 

 

 

 

術後すぐは息をしているだけで精一杯でした

緊急帝王切開を終え、病室に運ばれる時、手術の終わりを待っていた夫が

心配そうに駆け寄ってきた。

 

 

 

「お疲れさま・・・。」

 

 

 

確かそういってくれたと思う。

 

 

どうやら赤ちゃんがでてきてから、一時間くらい私がでてこなかったので心配していたらしい。

 

 

 

出産日当日、生まれてきたマメコに会えたのは手術室での一瞬だけだった。

看護師さんがNICUに運ばれる前のマメコの写真を一枚、私にくれた。

 

小さくて、細くて、ふっくらした赤ちゃんではなかった。

 

会えない間、その写真を見て過ごした。

 

 

 

地獄から解放されたのは、束の間だった。

出産当日、夜になるにつれ、みるみる・・・恐ろしいスピードで

自分の身体がパンパンに膨らんできているような感覚に襲われた。

 

 

「え?また水が体に溜まってきている?」

 

 

夜10時頃になるころにはまるで水が体に流れ込んできている感じがして、息をすることも苦しくなってきた。

 

 

「お、溺れる・・・」

大げさではなく、そんな感じだった。

 

慌ててナースコールを押す。

 

 

駆けつけてくれた看護師さんが慌てて先生を呼び出しに行った。

息が苦しい・・・溺れる・・・。

 

先生が駆けつけ、体の酸素濃度を確認し、ベッドの上でレントゲンを撮るという。

 

技師さんが部屋にきて、ベッドに寝たままレントゲンの準備がされた。

部屋でもできるんですね😅

 

 

 

レントゲンの結果によると体に水が溜まり、肺にまでその水が入り込んだため息苦しくなったらしい。

 

酸素マスクをつけることになった。

 

 

その日も一睡もすることができず、体中につけられた機械の音もうるさくて全然眠るどころじゃなかった。

 

 

水を抜いた体もみるみる水が溜まり、体がパンパンになり、寝返りはもちろん身体を少し横に傾けることさえできない。

出産前日と同じように申し訳なかったけど、看護師さんに手伝ってもらいながら一晩を過ごした。

 

 

はっきりいって術後の傷の痛みとかあったんだろうけど、こっちの方が辛すぎて傷の痛みとか全然覚えていない。

 

 

てっきり、体の向きをかえやすくするために、看護師さんが背中に厚手のタオルか毛布を入れてくれたのかとおもっていたら・・・・。

 

 

ふわふわのクッションかなと思っていたら、自分の背中の浮腫みだったっていう

そんな感じです😂

 

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うまれてきてくれてありがとう

回診にくる先生たちは特に何も言わなかったけど、着々と緊急帝王切開になった場合に備えて色々準備が進められていたらしい。

 

入院して間もなくだったと思う。

まだ車いすに乗っていない時、麻酔科の先生のところにいって緊急帝王切開になった場合の麻酔の方法を説明され、同意書を書いていた。

 

 

 

 

全身麻酔ではないので、術中もうっすら意識がありました。

 

内臓が引っ張られている感じなんかも分かっちゃう。

 

 

 

産科医は二人ついてくれたのですが、途中、二人の会話も聞こえてました。

担当の先生、私が出産してからも大変だったので丸二日くらい、いつ寝ているのってくらいずっと病院にいらしたと思います。

 

医療従事者の皆さんって本当ありがたい。先生が神様みたいに見えました。

 

 

オペが始まって数分。

あっというまでした。

 

 

「おめでとうございます!!女の子ですよ!!」

 

数秒あいて、まるで子猫がミャーと鳴いているような、か細い声、可愛い可愛い声。しっかりと産声が聞こえてきました。

 

助産師さんが生まれたてほやほやの小さな小さな

手のひらにのるような小さな小さなマメコを見せてくれた。

 

 

 

「・・・・」

 

 

 

言葉にならなかった。

静かに泣きながら、

 

ただただ、震える手で触れたら壊れてしまいそうな肩にそっと触れるのが精いっぱいだった。

頭に触れたかったけど、あまりに小さくて細くて、壊れてしまいそうで肩にそっと触れることしかできなかった。

 

 

顔を見た瞬間不思議な感覚だった。

夫に似ているせいか、私に似ているせいか。

 

「あぁ。この子だったのか。私のお腹にいたのは。」

 

ずっと前から知っている子がでてきたみたいなそんな不思議な感覚だった。

 

 

愛しい愛しい我が子との初対面の瞬間だった。

 

私以外にも静かにすすり泣くような声が聞こえた。

 

多分、新人の助産師さんも立ち合うって言ってたからその子だろう。

 

一緒に涙してくれたのはうれしかった。

 

 

 

 

33週6日、1,254グラム、39.5cm。小さな小さな女の子。

 

 

生れましたよ!と声をかけられてから小さな小さな子猫が鳴くような

可愛いうぶ声が聞こえるまで数秒かかった。

 

 

 

たぶん数秒だったと思うけど、ものすごく長く感じた。

 

 

TVのドキュメンタリーやドラマで聞く赤ちゃんのうぶ声よりもずっと細い声だった。

元気な声だったけど、子猫みたいに小さくて細い声だった。

 

 

「無事、生まれてきてくれてよかった・・・。」

 

 

私はというと、赤ちゃんが出た後、お腹にパンパンに溜まっていた腹水を

抜いてもらっていた。

 

先生たちの声が聞こえる。

 

 

「すごい量だな・・・羊水より多い」

 

 

水が抜けていくと、憑きものが落ちたように体がすーっと軽くなっていった。

 

「あぁ。これで楽になれる。」

 

 

 

 

 

 

 

ずっと流れていたオペ室でのBGM?は赤ちゃんがお腹からでてきてから

福山雅治の「家族になろうよ」が流れ始めて🤣

 

なにこれ演出なの?偶然なの?って思いながらもまんまと、涙涙でした😂

もうーやめてよー。

 

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緊急帝王切開へ

妊娠34週目に入ったら、肺の働きが成熟してくる。

そんな情報を目にしてから

 

何が何でも33週は絶対超えたいと思いました。

もちろん、本当はもっと長くお腹においてあげたかったし、正産期まで頑張りたかったけど頑張れなかった。

 

ごめんね、マメコ。もっとがんばれなくてごめんね。

 

 

 

 

先生は午後からと言っていたけど、朝一から手術室が使えるようになったということで緊急帝王切開をすることが告げられてから、あっという間に手術室へ。

 

 

夫に電話をしたら、少し緊張したような声だったけど、予想はしてたのかな。

 

幸い入院していた病院の近くにいたのですぐに駆けつけて来てくれ、手術の前に会うことができました。

 

 

ちなみにこの頃になると、胎動は微かに分かるんだけど、体が異常に浮腫みすぎたせいなのか胎動を感じにくくなっていました。

 

 

前日のエコーで、赤ちゃんは元気です。と言われていたのでそこは少し安心できました。

 

 

多分、私が健康な妊婦さんで、正産期に入っていたら

 

「あぁお願いやっと赤ちゃんに会える💓💓💓」  ワクワクドキドキ

 

って感じだったんだろうか・・・。

 

現実の私は、それまでが苦しすぎて生きているだけで精一杯で・・・。

 

さぁ、これからおめでたい出産に向かいますよ~✨って感じではなかった。

 

赤ちゃんは小さくて、生まれたらすぐにNICUに入院ですよって言われていたし

早産だったし、自分も死にそうに辛いし心配だらけだったから。

 

 

私、未だに臨月の大きなお腹した妊婦さん見ると、いいなぁ・・・。と思ってしまいます。

 

妊娠中、先輩ママさんたちがよく

 

「もう少しするとね、赤ちゃんがお腹の中から押してきて、足の形とか手の形とか

見えたりするよ~💕」

 

とか

 

 

「最後の最後で一気に成長して、お腹すごいことになるから。靴下自分で履けなくなるよ。」

 

 

とか言われてました。そうなんだぁ❤と楽しみにしていましたが

 

現実の私は、お腹の大きさは最後まで妊娠8ヶ月くらいの大きさだったのかな。

靴下は別の意味で自分で履けませんでした😑

 

 

だから妊娠後期あるあるの話には今も入れない💦

 

大きなお腹で、腰を擦りながらお散歩したかったなぁ。

出産までに自分で赤ちゃんのために用意したかったものもたくさんあったなぁ。

けどできなかったなぁ。

陣痛とかも怖いけど体験してみたかったなぁ・・・なんて未だに思ってしまいます。

身体の限界…

重症妊娠高血圧になり、全身が浮腫み始めた私。

いよいよ、もう生きていることに必死でただただ苦しくて苦しくて。

身体中が浮腫みすぎて起き上がっていることも寝ているのも、どの体勢もきつい。

 

この頃の尿検査で尿蛋白もでており、母子手帳を見返すと尿蛋白は+++

この異常なだるさは、高血圧と尿蛋白のダブルなのか😫

 

もーーーーーう本当に地獄以外の何ものでもなかったんです。

 

で、その日の夕方始まった点滴。

これがまた地獄に追い打ちをかけるほど辛くて。

マジで死ぬかと思いました😭

 

そして夜は浮腫みすぎた身体が重すぎて、自分で寝返りを打つことさえできない。

よく妊娠後期の妊婦さんが寝返りできずらいっていうけど、私のはちょっと訳が違う。

 

赤ちゃんは1週間前からほどんど大きくなっていないし、それまでは寝返りはできました。

 

 

身体がしんどすぎて、寝付くこともできず、部屋にあるトイレにもちろん自分で行くこともできず看護師さんに車いすで連れて行ってもらい、よたよたと用を足す。

 

申し訳ないと思いながら、夜中何度もナースコールをしてしまいました。

 

とにかくフラッフラ大げさではなく、半死半生とはこの時のことだと思いました。

 

看護師の皆さん本当どなたも親切な方ばかりで、術後の大変だった時もいやな顔せず、一所懸命にお世話をしてくださいました。御恩は一生忘れられません。

 

 

 

その夜は一睡もできず・・・。

長かった夜が明け、7時半頃だっただろうか。

 

担当の医師が部屋に来て

「今日、緊急帝王切開をします。今からご主人に連絡を取ってください。」

 

 

内心、

「あぁ、やっと楽になれる・・・」

と思ってしまいました。

 

悔しかったけど、悔しくてマメコにも申し訳なかったけど、

 

もう、本当に本当に限界でした。

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