マメコと私の記録

2017年33週6日1254g。極低出生体重児で生まれたマメコの話

先生、看護師さんへ心からありがとうを言いたい

マメコは保育器から出た後、NICUからGCUに移りました。

 

私もマメコがGCUに移った頃には、血圧もようやく正常に戻り自力で歩けるようになっていました。(尿蛋白が出続けていたので入院していましたが)

 

 

最初は10分隣に居られるのがやっとでしたが少しずつ、隣に長い時間いられるようになっていました。

 

それでも立ち上がっていることはできず、沐浴は看護師さんや夫がしてくれるのを横で見ていました。

 

 

 

結局産後2週間以上、入院していました。

 

今もマメコ担当の先生にかけてもらった言葉が忘れられません。

 

 

私は、その時あせっていました。

 

自分の身体がなかなか回復しないことに。

 

早く退院したかった。

 

 

 

 

 

ある日、マメコの傍に座っていたら、

 

「あれ?お母さんまだ入院していましたね。」

 

「へへっ。まだいました😅」

 

先生

「でも娘さんの一番近くにいられるのは入院している今だし、お母さんの身体が回復するころ、娘さんも退院できるから大丈夫ですよ。」

 

 

はっっとしました。

まだまだ自分のことで手一杯で当たり前のことに気が付かなかったけど、退院たらすぐに会いに来れなくなる。

 

マメコは病院で一人でがんばっているんだ。

 

また涙がでました。

 

 

入院中でしたがだんだん私の身体も回復し、GCUでマメコの横にいられる時間も少しずつ長くなっていきました。

 

 

 

マメコは、NICUに居るときに、黄疸がでて、サングラス😎をして光を浴びていることがありました。

 

看護師さんが

「日光浴中なんですよ~😊」

 

なんて明るくいってくれるものだから、全然心配することなく過ごすことができました。

 

医師の言葉、看護師さんの言葉って不安な時、影響が大きいです。

 

何度も励ましていただきました。

私とマメコの命を救ってくれてありがとうございました。

マメコの命を24時間、見守ってくれてありがとうございました。

私ができないお世話たくさんしてくれて抱っこしてくれてありがとうございました。

 

あの時から5年経とうとする今でも、思い出すと涙が溢れます。

多分この先、何年経っても涙はでるのかな😂

 

 

心からありがとうございました。

あの時お世話になった医師、看護師さんへの感謝は一生忘れません。

 

 

 

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