マメコと私の記録

2017年33週6日1254g。極低出生体重児で生まれたマメコの話

起きてしまったことを嘆くよりも前をむいていたいと思うこと

この文章はマメコ3歳、入園後2021年のブログの抜粋です。

 

今日は夏日になりそうです。

 

マメコたちは、プール開きの前の暑い日は、泥んこ遊びと言って泥にまみれて遊ぶ日があります。

 

マメコは、泥んこ遊びが大好き。とっても楽しそうです。

 

 

 

家の近くには幼稚園も、他にも園がいくつかあるんだけど、私は今の園の

アットホームな雰囲気と、園長先生はじめ、先生方皆さんの雰囲気が好きです。

 

 

家のすぐ近くの園なので、入園前も園の子どもたちに会うことが時々ありました。

 

ある日、園の近くの公園に遊びに行くと、1歳児くらいの赤ちゃんたちが遊んでいました。

 

みんなまだやっと歩くか、ハイハイしている子たちでした。

 

私はマメコの子育てが初めてで、未熟児で産んでしまったせいもありそれまで、知らず知らずとても過保護に育てていたところがあると思います。

 

 

公園に先生たちに連れられて遊びに来ている子が、公園の砂の上を一生懸命ハイハイしていたんです。

 

それを見て、私1歳くらいの時に、外でハイハイさせるなんて全然考えたこともなかったなーと。小さなことですが、衝撃を受けました。

 

服が汚れるとか手が汚れるとか、砂が口に入るかもなんて考えてたのかな・・・。今となっては、そんなに衝撃を受けることだったかなと思いますが、当時はそうだったようです。

 

 

入園する前は、マメコは幼児教室に通っていました。

 

早産児で極低出生体重児だったマメコは、小児科の先生にもしかしたら発達面で他の子より半年くらい遅れがでるかもと言われていました。

 

マメコは、というと。

 

確かに寝返りは、一回したかしないかくらいの記憶しかないし💦ずりばいもしなかったしやっとハイハイするようになったのは11ヶ月くらいでした。

 

そこから1歳5か月まできっちり6ヶ月ハイハイ赤ちゃんでした。

 

歩くようになったのは1歳5か月。

 

確かにゆっくりではありましたが、私は心配していませんでした。

 

体幹がしっかりしてきたのは見ていて分かっていたし、小児科の先生に言われていたから。

 

支援センターの先生は口には出さなかったものの少し心配してくれていたようです

 

少しでも発達の刺激になればと幼児教室には入園前2年間通いました。生まれ月も一番遅い方でしたが、まぁできることやできないこともちろんありましたが、マメコはよく頑張っていたと思います。

 

早く産んでしまったから、小さく産んでしまったから申し訳ない。

とにかくマメコが小さい頃(今も小さいけど)はそればっかり考えていました。

今ももちろん、思うことはあります。

 

 

 

申し訳ないそればっかりを思うよりも今のマメコに感謝して、私がマメコに今してあげられることに目を向けていきたいなと思っています。

 

 

にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村

マメコの誕生日がくるたびに・・・

これは2021年、マメコの誕生日の後に書いた文章です。

 

先日、マメコが4歳の誕生日を迎えました😊

 

マメコが生まれてから、毎年この季節になると、

今の幸せに感謝せずにいられません。

 

4年前のあの日、無事に生まれてきてくれてありがとう。

お腹の中で頑張っていてくれてありがとう。

でてきてからも、元気に過ごしてくれてありがとう。

 

4年前のあの日、二人の命が助かって本当によかった。

大学病院の医師、看護師さんに感謝。

 

マメコが生まれるときに、立ち会ってくださった小児科の先生には今も1年に一回、経過観察で診てもらっています。

先生にマメコの成長を診てもらえることは、私たち夫婦にはとてもありがたいことで、夫婦で先生に会えることも楽しみにしています。

 

 

 

 

マメコが2歳5か月くらいの時、私が妊婦の時の写真をたまたま、マメコが見たことがありました。

笑顔の写真でしたがちょうど、体調が優れなくなってきた時期の写真でした。

 

 

マメコ、大きなお腹の私を見て泣いたんです。

 

 

シクシクと。しんみりと、さめざめと悲しそうに泣くんです。

「ママ・・・。ママ・・・。」って言いながら、ぽろぽろ涙を流しました…。

 

びっくりしました。

 

普段みたことのない泣き方でした。

夫も一緒でしたが、二人で顔を見合わせて驚いたと同時になんとも切ない気持ちになりました。

 

 

胎内記憶を思い出したのか、はたまた、ママが病気でお腹が膨らんでいると思って悲しくなったのか、それとも全く別の理由なのかは分かりません。

 

 

私のスマホの待受け画面は、今日まで極低出生体重児、早産児で生まれたマメコが

入院しているときの寝顔の写真でした。

4年前の写真です。ずっと替えられずにいました。

 

 

 

今の可愛いマメコの写真はいっぱいあるのに、今日まで替えられなかった。

 

 

 

親子一緒に過ごすことができなかったあの時の気持ちを忘れられなかった。一緒に過ごせるようになった日の気持ちを忘れたくなかった。

マメコのイヤイヤにイライラしてしまった日、あの日の気持ちを思い出せるように替えられなかった。

 

今、こうしてやっとブログに記録できるようになりました。

早産児、極低出生体重児で生まれ、母子同室どころか、2ヶ月一緒に隣で寝ることができず、母乳も欲しかるときにいつでもあげられなかった。

 

4年前のあの日、あなたが私のところに戻ってきてくれた時、本当に嬉しかった。

 

大切な大切なマメコ、母は今日もあなたが大好きです。

にほんブログ村 子育てブログ 2017年4月〜18年3月生まれの子へ
にほんブログ村

マメコ退院する

退院が伸びること2週間。

 

やっとやっと、マメコが退院が決まりました。

 

生れてから2ヶ月と数日経っていました。

 

出生時は1,200グラム台だった体重も2,700グラムまで増えました😀

 

 

やっとやっと帰ってきたマメコのことが、可愛くて可愛くて。

 

 

もちろん夜寝られなくて大変だったんだと思うけど、それよりもマメコがいてくれることの方が嬉しくて。大変は大変だったけど振り返れば大変だったことよりも、この時期は帰ってきてくれた喜びしか思い出せません。

 

 

1歳くらいまでのマメコって、人間なんだけど、野生動物感が濃くてなんとも私にとっては

 

『世にもかわいい生き物』でした。

 

こんなに可愛い愛しい生き物がこの世に存在するのかと🤣

 

今ももちろん可愛いことには変わりありませんが。

 

 

ここまでが備忘録

『世にもかわいい生き物』マメコと私のお話しでした。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

マメコの退院が伸びた理由

マメコは有難いことに小さく早く生まれたこと以外は特に大きな問題もなく(黄疸はでましたが)順調にいてくれました。

 

母乳もミルクもたくさん飲んでくれていて順調に体重も増えていました。

 

「小さく早く生まれた赤ちゃんは、呼吸を忘れることが時々あるんですよね。それが一週間のうち一回もなかったら退院になります。」

 

 

当初、出産予定日くらいにはマメコも退院できるでしょうと、主治医の先生には

言われていました。

 

GCUにいる赤ちゃんは心電図、血液中の酸素量を図るサチュレーションを大体の子がつけているようでした。

 

異常があると大きな音で素人の私が聞いても、緊急性が伝わるような音がなることがありました。

 

私は、マメコの呼吸が止まった瞬間には居合わせたことはありませんでしたが、他の赤ちゃんが、呼吸が止まった?のか大きな音でアラートが鳴り、看護師さんが駆けつけてきて「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん!」

 

と呼びかけるシーンを夫が見たと言っていました。

 

先生曰くすぐに呼吸は戻るそうびっくりなんですけど、そこに居合わせたら冷静に対処できそうにありません💦

 

 

マメコも夜に呼吸がとまることがあったらしくそれが、退院が長引く原因になりました(´;ω;`)

 

 

 

 

血液検査に始まり、おしっこ、うんち、未熟児網膜症、レントゲンも撮ったのかな?

雑な記憶💦ですが、いろんな検査にパスしてくれたマメコ。

 

 

「一週間連続で一回も呼吸が止まらなければ、今週末退院しましょう。」

 

ついに、主治医の先生からそう言われました。

 

 

 

待ちに待った退院の日がもうすぐそこまで😍

 

それがね、マメコったらいい調子で5日目まではいくんだけど、5日目あたりで無呼吸の症状がでるんです😥

 

 

いや、心配だからきちんと症状がでなくなってからでないと退院させるのは私も心配だからそうでないと困るんですけど、今週こそは・・・💓💓💓って期待した後の

 

「昨日また、呼吸が止まっちゃいました💦」

と告げられた後のがっかり感。

 

2回繰り返したときは、

 

担当の先生が

 

「家に帰してあげられなくてすみません。」なんて頭を下げてくださって

 

先生、全然悪くないのに💦

 

「大丈夫です。待ちます。」なんて言ったけど、さすがにそのあと泣きました😭

 

 

またまたGCUの看護師さんに慰めてもらいました😭

 

 

感謝感謝です。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

情緒不安定でよく泣いてました

私が退院してからは、毎日朝から夕方までGCUでマメコの隣で過ごしました。

 

夕方からは仕事が終わった夫と交代で、夫が20時くらいまでマメコと一緒に過ごしていました。

 

夫にも感謝しかありません。

 

授乳するにも抱っこするにも、鼻だったり足だったり、胸にたくさん線(心電図だったりの)がついていて、すぐに外れてしまったりで💦けっこう煩わしいんですよね。

本人もストレスじゃないのかなぁ。早く外してあげたいなぁと思っていました。

 

最初のうちは、直接母乳以外は鼻からの間でミルクを毎日決められた量を飲んでいたマメコだったけど、鼻の管も外れ赤ちゃんらしく、好きな時に好きなだけ母乳もミルクも飲めることになりました。

 

 

 

 

ある日マメコに会いに行くと、一時間ほども母乳を飲み続け鼻から牛乳ならぬ、鼻から母乳😱が溢れでてきて、ものすごく焦って看護師さんを呼んでしまいました💦

 

ママと離れたくなかったんだねって言われてウルウル😭したり、

 

未熟児ならではの検査なんかもあったりして(未熟児網膜症とか血液検査とか)検査の時に泣いている姿を見ては、辛い思いさせてごめんねと泣いたり情緒も不安定だったし、よく泣いてました💦

 

きっとあの時GCUに来てたお母さんたちも、そんな姿は見えなかったけどいろいろな思いを抱えてたんだろうなと思います。

 

 

お隣にいるお母さんたちに、話しかけようと思えば話しかけられるんだけど、どんな理由で、ここに入院しているかは人それぞれだし、気軽に話しかけることが私はなかなかできませんでした。
 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

会いたくて会いたくて震える

マメコには、生後10日目で初めて直接母乳を与えられるようになりました。

 

それまでは、搾乳した母乳を鼻に通った管から胃に直接入れてもらっていました。

 

 

 

初めての直母(直接母乳を飲ませること)は、とにかく必死でした🤣

 

あららひめには、鼻にも、体にも足にもいろいろ線が繋がっていて(心電図とサチュレーションだったと思います)

抱っこするにも、自由がきかないというか。まだ抱っこにも慣れていないから、もう抱き方から飲ませ方からパニック🤯

 

 

 

マメコは、本能なんでしょうね😗

一所懸命、飲もうとしてくれるけどなんかこう上手くいかないんですよね💦

 

それでも、マメコに母乳を与えられる時間は愛しくて幸せな時間でした。

 

勝手なもので、自分の身体が回復するにつれ、マメコと一緒に居られないことがどんどん辛くなっていきました。

 

 

それまでは、今が必死すぎて考えらなかったけど、今後のマメコの成長も心配になり、ネットで余計な情報を検索しては無駄な心配ばっかりして不安になったり。

 

 

 

何よりもマメコが泣いたときそばにいてすぐ抱っこしたり、授乳したりおむつを交換してあげたかった。

 

 

直接授乳できるようになったものの最初のうちは看護師さんに今、授乳していいか確認を取ってからでないとできませんでした。

 

 

 

 

やっと普通に立ったり座ったりできるようになり、沐浴も自分でさせてあげられるようになった頃、産後20日

 

私はようやく退院できることになりました。

 

 

マメコは引き続き、入院中。

 

直接、授乳はできるようになったものの私がいない間は看護師さんが哺乳瓶で搾乳した母乳を与えてくれていました。

 

 

マメコが入院中には、二時間おきに搾乳した母乳パックを毎日運びました。

 

「毎日、大変だったでしょう?」

 

あとで、そう心配してくれる人もいたけれど、

 

マメコが退院するまで3週間、大変と思うことはありませんでした。

 

マメコに毎日会いたくて会いたくて、抱っこしたくて(西野カナかってくらい)早く病院に行きたかったし、少しでも長く一緒に過ごしたかったから。

 

それよりも、夜中に起きて、薄暗い部屋で搾乳していると、

なんとも虚しくて寂しくて、マメコに直接授乳させられないことが悲しくてぽろぽろ泣くことは何度かありました。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

先生、看護師さんへ心からありがとうを言いたい

マメコは保育器から出た後、NICUからGCUに移りました。

 

私もマメコがGCUに移った頃には、血圧もようやく正常に戻り自力で歩けるようになっていました。(尿蛋白が出続けていたので入院していましたが)

 

 

最初は10分隣に居られるのがやっとでしたが少しずつ、隣に長い時間いられるようになっていました。

 

それでも立ち上がっていることはできず、沐浴は看護師さんや夫がしてくれるのを横で見ていました。

 

 

 

結局産後2週間以上、入院していました。

 

今もマメコ担当の先生にかけてもらった言葉が忘れられません。

 

 

私は、その時あせっていました。

 

自分の身体がなかなか回復しないことに。

 

早く退院したかった。

 

 

 

 

 

ある日、マメコの傍に座っていたら、

 

「あれ?お母さんまだ入院していましたね。」

 

「へへっ。まだいました😅」

 

先生

「でも娘さんの一番近くにいられるのは入院している今だし、お母さんの身体が回復するころ、娘さんも退院できるから大丈夫ですよ。」

 

 

はっっとしました。

まだまだ自分のことで手一杯で当たり前のことに気が付かなかったけど、退院たらすぐに会いに来れなくなる。

 

マメコは病院で一人でがんばっているんだ。

 

また涙がでました。

 

 

入院中でしたがだんだん私の身体も回復し、GCUでマメコの横にいられる時間も少しずつ長くなっていきました。

 

 

 

マメコは、NICUに居るときに、黄疸がでて、サングラス😎をして光を浴びていることがありました。

 

看護師さんが

「日光浴中なんですよ~😊」

 

なんて明るくいってくれるものだから、全然心配することなく過ごすことができました。

 

医師の言葉、看護師さんの言葉って不安な時、影響が大きいです。

 

何度も励ましていただきました。

私とマメコの命を救ってくれてありがとうございました。

マメコの命を24時間、見守ってくれてありがとうございました。

私ができないお世話たくさんしてくれて抱っこしてくれてありがとうございました。

 

あの時から5年経とうとする今でも、思い出すと涙が溢れます。

多分この先、何年経っても涙はでるのかな😂

 

 

心からありがとうございました。

あの時お世話になった医師、看護師さんへの感謝は一生忘れません。

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村