マメコと私の記録

2017年33週6日1254g。極低出生体重児で生まれたマメコの話

一日でも長くお腹の中に・・・

目の前にチカチカッと火花が散り、バタバタと個室に運ばれ血圧を一晩中測りながら、点滴をして過ごしました。

 

朝になり、もと居たMFICU(母子胎児集中治療室)に戻されました。

もちろん寝たきりのままベッドのまま運ばれました。

 

 

 

そこから1週間はみるみる悪化し、とにかく一日中ベッドから起き上がることすらできません。

お見舞いに夫が来てくれても、うれしいけど会話することもままならず、ふうふうと荒い息をするだけ。

 

 

 

緊急帝王切開になる2、3日前だったと思います。

 

看護師さんが

「お水は飲んでいるのに「極端にトイレの回数もおしっこの量も少ないわね・・・。」

 

 

 

体調が悪化していったのは連休直前。

先生たちが回診にきて「体調どうですかー?」って聞いてくる。

 

私は回診の時先生たちに囲まれるのが苦手で、言いたいことも言えず

「毎日しんどいです・・・」くらいしか言えなかった。

 

 

でも、その日は辛すぎて

「このままでは連休を超える自信がありませんっ」と涙ながらに逆切れ🤯気味に訴えてしましました。

 

手足は恐ろしいくらいにぶくぶくに浮腫むし、顔もパンパンになり別人のよう。

お腹も急に大きくなってきたので、「赤ちゃんが大きくなったのかな🤔」

なんて思ったら全然そんなことなく😫

 

後から気がついたけど全身が浮腫んでお腹も大きく膨らんだだけでした。

 

思い出して書いているだけで、今もあの時の恐ろしい記憶がよみがえり怖くなる。

忘れもしない緊急帝王切開前日、体中がパンパンで、自分の身体が

風船みたいで今にも体が弾けそうな感覚。

 

寝返り打つことさえできない。

ナースコールをして体の異常を伝える。

先生が来て、今から点滴をするという。

記憶があいまいだけど子癇発作予防の点滴だったと思います。

 

余計苦しくなるけど、我慢して欲しいと言われました。

 

 

このころは、毎日NSTと一日おきにエコーでマメコの様子を見てもらっていました。

「赤ちゃんは元気ですね」

この言葉だけが励みでした。

 

どうかどうか一日でも長く、お腹においてあげたい・・・